石橋秀仁(zerobase)書き散らす

まじめなブログは別にあります→ja.ishibashihideto.net

「ウェブ」と「オープンソース」の理念が、報道の情報伝播過程を透明にする(報道トレーサビリティ)

情報のトレーサビリティ

オンラインでの伝搬した情報の「裏取り」は、オンラインで可能であるべきだと思う。情報空間の秩序とリテラシーのために、情報伝搬のトレーサビリティが重要だ。ここでいう「トレーサビリティ」は、伝播経路の「追跡可能性」という意味である。簡単に言うと、ある記事は、それに使った情報源(ソース)を明示するということだ。それによって、読者は一次情報まで遡っていくことができる。

  • 情報源がウェブページなら、当然リンクすべきだ。
  • 誰かの発言を報じるなら、その音声や映像も公開すべきだ。

このように報道がトレーサブルであれば、情報の伝搬過程を追跡調査(裏取り)できる。どこで情報が歪められたかも調べることができる。その結果を公表することで、「この報じ方はおかしい」というメディア批判が可能になる。メディア批判が言論空間の健全性を守る。メディア批判が「言論の自由」という理念を守る。

昨今では政府・行政過程の透明性を高めるために「オープン・ガバメント」「オープン・データ」が喧伝されている。ならば、「権力の監視機構」たる報道機関についても、その報道過程の透明性が問われなければならないだろう。ニュースをつくるための「ソース」(情報源)を明らかにするのだから、「ニュースのオープンソース」と呼びたい。

情報空間の健全性とリンク

とくに政治的な情報発信に際しては、ソースへのリンクを徹底して頂きたい。これはニュースサイトを始めとするメディアや、ニュースをもとに声明を出す組織だけでなく、個人のブロガーにもお願いしたい。

なぜならば、ウェブの本質はリンクの網の目なのだから。「ウェブ」という名前は「蜘蛛の巣」に由来する。ウェブに新たな情報を追加する際には、リンクの網の目に接続するという感覚を忘れないようにして頂きたい。リンクこそ情報トレーサビリティなのだ。

リンクを重視することが、情報空間における政治的言論空間を健全に保つために必要な情報リテラシーだ。ウェブで情報発信するすべての人は、リンクを大事にすべきだ。

メディア批判を誰がするのか

もう一つの「リンクト・オープン・データ」〜Embedded Linked Open Data (ELOD)

プレインテキストに埋め込まれたデータを機械で抽出して再利用するLOD推進アプローチを、Embedded Linked Open Data (ELOD) と呼んでいきたい。例えば、

  1. Markdownのようなプレインテキスト記法を拡張する。
  2. 自然言語解析・推論によってデータを抽出する。

など。いずれにせよ業務に負荷をかけることなくLODを推進していきたい。そういうコンセプトです。

プレインテキストからRDFを自動生成する手法の研究開発 on 日本語Markdownユーザー会の活動計画 | Trello

ちなみに、現在主流の「オープンデータ」のアプローチは、あらかじめ構造化されたデータをマシンリーダブルなフォーマットで公開していくアプローチですね。すでにWeb-DBシステム化されているなら、こちらが早い。

Web-DBシステムは基本的に「データベースから取り出したデータを、HTMLテンプレートに展開する」という仕組みになっている。RDF出力をしたければ、新たにXMLテンプレート等を追加するだけでよく、改修費用が安い。前提として、

  • そもそもデータ中心的な業務フローになっている必要がある。
  • Web-DBシステムを運用している組織は、実際にそうなっている。

そういう前提があってこそ有効なアプローチ。逆に言うと、データ中心的な業務フローが確立してない現場では、「そもそもデータベースを導入するところから」になったりするので、とても遠回り。

だったら、「すでに文書(テキスト)として公開している情報」を Embedded Linked Open Data (ELOD) 化していくほうが、近道でしょうと。

日本の下流意識が現れている記事→【オシャレ必見】パリコレの凡人を置いてけぼりにしたスーパーファッション18選(画像)

問題の記事:【オシャレ必見】パリコレの凡人を置いてけぼりにしたスーパーファッション18選(画像) | CuRAZYウェブ魚拓

うーむ、こういう記事を書く輩は、端的に言って無教養で下劣だ。パリコレの作品を、このように「単に奇抜(エキセントリック)なもの」として、笑いのネタとして切り出すのは、下劣でしかない。

いろいろと問題点のある記事だ。問題点を列挙していく。

  • 最低限の常識として、作家名や記事ソースへのリンクが必要だ。
  • (前述の理由で)どこから持ってきたか知らないが、写真だけ勝手に転載するのは、著作権侵害だ。
  • 上の二点は、情報リテラシー・情報倫理の観点からも、極めて程度が低い。
  • もちろんアートへの理解・リテラシーもない。

これは、ものすごく階級的なコンテンツだ。階級意識を反映している。下流階級の。

下流階級の人間が、上流階級の人間に対する鬱憤を爆発させている。そういう表象。知性の欠片もなく、愚劣極まりない。

運営者について

なお、運営者は株式会社Bitgatherだ。

代表取締役 伊藤 新之介 取締役 川崎雅弘 取締役 北村 久雄

なんと「企業理念」があるらしい。

コンプライアンス 役員及び社員は国内外の法令やルールを遵守し、人権を含む各種規範、高い倫理観を持って行動します。 また、社会的に有用なサービスを開発・提供するという変わらぬ使命を果たし、お客さまの満足と信頼を獲得します。

やれやれ。

バイラルメディア「CuRAZY」が公開初月870万PVを達成 | 株式会社BitGather(2014年2月13日)だそうだ。そりゃそうだろう。下流意識の琴線に触れる鬱憤晴らしの釣りコンテンツで、ページビュー(PV)を稼ぐ手法だ。そうやって簡単に広告収益を稼いでいるのだ。それが果たして

社会的に有用なサービスを開発・提供するという変わらぬ使命を果たし、お客さまの満足と信頼を獲得します

ということになるのだろうか。違法な著作権侵害で金儲けしてるくせに。まじめに働いてる人々を馬鹿にしてる。「高い倫理観」はどうした。

日本の下流意識

この現象は、もっと大きな文脈で理解しておきたい。これは日本の階級意識(下流意識)を反映した現象だ。

日本は、まだ表向きは「階級社会」ではない。社会制度上の差別は目に見えない。例えばドレスコードなどないようなものだ。

しかし、現実には、すでに階級差別が進行している。下流の劣等感やコンプレックスは噴出しつつある。

日本の階級コンプレックス意識の、いわば代理戦争のネタとして、パリコレという西欧上流階級の表象が使われたのだ。

「人々が思わずクリックしてしまうようなコンテンツを作ることで稼ごうとするネットメディア」は、人々の無意識に欲望に訴えかけるような「釣り」コンテンツを生産する。そして、ネットメディアにとって釣りやすいのは下流層だ。このような釣り手法で成果を上げているのは、この企業だけではない。いくつものネットメディアがそうしている。

確実に日本にも下流意識が広がっており、人々を蝕んでいる。そこには「自分にわからない世界」としての上流階級への憎悪が含まれている。嘲笑の形をとっているとしても、その深層には階層的な憎悪がある。

上述のようなネットメディアはその傾向を助長している。「人々が望むコンテンツを与える」という行為によって。

なお、断っておくが「下流であること」は悪くないし、「下流に応えるコンテンツを作ること」(たとえば「1食100円レシピ」など)自体も悪くはない。問題は、対立・嘲笑・憎悪・悪意を煽るようなコンテンツを作ることだ…と言いたいが、いや、それ以前の問題なのだ。著作権法は守ってほしい。情報を引用するなら、情報源(ソース)へのリンクもつけてほしい。個人が趣味でやってるブログならともかく、商売でやってるならさあ。

その程度のこともやらない企業は、社会にとって有害な存在だ。企業理念やコンプライアンスの宣言を取り下げてもらいたい。というか、消えてほしい。

メディア批判を誰がするのか

情報技術は文字(エクリチュール)を制度(エクリチュール)化するので、字形の進化は遅くなっているかもしれない

文字は進化しにくくなっている。かつては活字化によって文字が制度化された。そしてコンピューター化によってさらなる制度化が完成した。Unicodeは強力な制度だ。字体や記号($&ー・など)はますます変化しにくくなった。

記号としてのエクリチュール

フランスの哲学者ジャック・デリダや、日本の哲学者東浩紀の考えたことを思い出しながら、ちょっと抽象的なことを言ってみる。

エクリチュール(文字)の物質性」という概念がある。要するに「文字はそれ自体に意味がなく、それによって表される内容にこそ意味がある」という記号論的な考え方(シニフィアンの恣意性)がある。言い換えると、「文字それ自体は、内容を伝える透明な媒体でしかない、空気のような存在でしかない、だから何でもいい(つまり字体など恣意的に選ばれているだけである)」という考え方だ。

そういう考え方への批判として、「エクリチュール(文字)の物質性」という考え方がある。これを説明するには象形文字が分かりやすい。漢字を思い浮かべてもらえばいい。「木」という文字は、「植物である木」という意味内容を表している。しかし、この「木」という文字の形(字形)は、木が生えている様を表す象形文字に由来する。

ほら、さきほどの「透明な文字(エクリチュール)」という考え方は間違っているじゃないか。「文字それ自体は、内容を伝える透明な媒体でしかない、空気のような存在でしかない、だから何でもいい(つまり字体など恣意的に選ばれているだけである)」という考え方は、「木」という文字には当てはまらない。

ちなみに、「透明なエクリチュール」という考え方はアジアからは出てきにくいと思う。一方、ラテン文字・アルファベットなどでは、字形自体に意味が無い。だから「透明なエクリチュール」「記号の恣意性」などという考え方が西洋から出てきたんだろう。

制度としてのエクリチュール

さて、冒頭の話に戻りたい。「エクリチュール」という言葉は、とても抽象的な意味で使われる。例えば社会の「制度」をも指してエクリチュールと呼んだりする。活字やUnicodeのような制度も「エクリチュール」だ。

つまり、こういうことだ。活字やUnicodeが、文字(エクリチュール)を制度(エクリチュール)として社会に書き込む。

エクリチュール(書かれたもの)は残る。持続する。そもそも「残そう」とする人が、書かいたのだ。そこには「残したい」という意志がある。そして、「書くことによって残そうとする」という行為は、言い換えるとエクリチュールに存在感を与えるということでもある。「力を与える」と言い換えてもいい。

そうしてエクリチュール(書かれたもの)は政治の対象になる。政治とは「力のゲーム」である。世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな物事をエクリチュールとして残そうとしている。いろいろな人が「自分が残したいと思うもの」をかけて争っている。今風に言えば「アテンションエコノミー」における、人々の注意・関心の獲得競争と言ってもいい。

そういうエクリチュールのエコシステム(生態系)のなかで、日々激しい競争が行われている。あなたがいま読んでいるこのエクリチュールだって、私がこういう考えを残し、伝え、同意する人が増えればいいなと思って書かれたものなのだ。この記事がどれほど読まれるかは、アテンション・エコノミーにおける生存競争と言ってもいい。

そうして競争に勝ったエクリチュールは、社会の制度となる。制度とは何も法律だけではない。法律より広い概念だ。常識や慣習も「制度」なのだから。

例えばロックの「社会契約論」やルソーの「一般意思」は制度になった。ティム・バーナーズ・リーの「ワールド・ワイド・ウェブ」も制度になった。いまリーが提唱している「リンクト・オープン・データ」「データのウェブ」は、制度になるかどうかが問われている段階だ。

エクリチュールの進化

エクリチュールのエコシステム(生態系)では、どのような「進化」が起こるのだろう。それは、エクリチュールそれ自体の進化ではない。エクリチュールの自然選択・淘汰の結果として、強いエクリチュールが残る。そのプロセスが「進化」なのだ。

ではエクリチュールそれ自体は変化しないのか。そうだ。エクリチュールそれ自体は変化しない。

例えば、ルソーが1762年に発表した『社会契約論』は、彼が書いてから変化していない。しかし、「一般意思」をめぐって様々な人が様々なエクリチュールを生み出した(様々な文章を書いた)。「一般意思」を批判するエクリチュールも生み出された。

そういうエコシステムのなかで、いまだにルソーが1762年に発表した『社会契約論』というエクリチュールは生き続けている。つまり進化プロセス(自然選択)に勝ち続けてきた。そういう進化プロセスを経てもなお、ルソーが1762年に発表した『社会契約論』というエクリチュール自体は、ルソーが書いた時点からまったく変化していない。

ところで、ルソーが1762年に発表した『社会契約論』というエクリチュールは変化しなくても、そこで表現された「一般意思」という概念のほうは変化してきた。例えば東浩紀が2011年に発表した『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』では、「一般意思」という概念のアップデートが図られている。これは派生エクリチュールであって、いわば「二次創作」と言ってもいい。そうやってエクリチュールは進化するのだ。

まとめよう。

そういう派生と淘汰のプロセスこそ「進化」と呼ばれるものだ。ルソーが1762年に発表した『社会契約論』というエクリチュールは、いわば「生きた化石シーラカンスのようなものだ。それ自体は太古より変化していない。しかし、進化のプロセスを、生き残ってきた。

情報技術が与える慣性

話はまだ終わらない。情報技術はエクリチュールの物質性に大きな慣性を与える。つまり字形が変わりにくくなる。大きな質量を加えて、動きにくくする。変化しにくくする。

情報技術は文字コードというものを決めた。現在主流のUnicode文字コードの一種だ。文字コードとは、それぞれの文字に、1つずつ番号を与えたものである。関心があればUnicode文字コード表を見てみればいい。例えば「B」という文字のコードは66だ。一つ前の「A」なら65になる。

文字コードシステムにより、「B」は厳密に「B」そのものであって、字形が似ていても「8」とは区別される。フォント(字体)は自由に選べるので、例えば「8」という数字の見た目が「B」になるようなフォントを作ることもできる。しかしコンピューターは、文字の見た目ではなく内容で判断する。「8」と「B」は別の文字であるとみなされる。

コンピューターにとって「文字コード」と「字形」は完全に区別されており、そこに曖昧さはない。「象形文字」など無意味だ。「木」という文字の形が「木」である意味など、まったくない。文字コードと字形は区別されているし、その結びつきは「恣意的」なのだから。これはかつての「透明なエクリチュール」という概念が再来したかのようじゃないか。

この「似ている字体を明確に区別する」という情報技術の特性は、エクリチュールの物質性に影響を与える。さらに「同じ文字なら同じ字形・字体で表示される」という性質は、文字の制度化を強力に推進する。現在の文字システムを強固にする。将来の変化の余地を減らす。つまり、エクリチュールに大きな慣性を与える。

現代人は、しばしば電子メールよりも手書きの手紙を重んじることがある。「気持ちをこめて手紙を書く」などという。そこではエクリチュールの物質性が問題にされている。人々はすでに知っている。コンピューターがエクリチュールの物質性を剥奪するのだと。書き手が文字に込めた気持ちが、筆跡となって届くようなことはない。そういう物質性はすべて剥奪され、透明な記号として届くのだから。

人々はすでにそれを知っている。

全体のまとめ

長い話になりつつあるので、このあたりでやめておこう。最初に言いたかったことは、要するに、

  • 文字(エクリチュール)は制度(エクリチュール)化されてきた。
  • 制度は慣性力を持つ。つまり制度化されたものは変化しにくい。
  • ゆえに、文字は変化しにくくなってきた。

ということだ。

話し足りない部分については、また気が向いたら。さわりだけ書き散らしておこう。

今日のデザイナーは、市販のフォントを使う。かつてのように手で文字をゼロからスケッチすることは減っている。これもエクリチュールの制度化と、物質性の縮減ということだ。

冒頭で書いたこと。字体や記号($ー・など)はますます変化しにくくなった。それをもっと詳しく。例えばアンパサンド(&)は、今日の字形になるまでに、様々な変化をしてきた。それが情報技術によって固定化されたのではないか。社会のなかでの「&」のバリエーションは減ったのではないか。そういう懸念。

どちらにも共通するのは「手書きは自由な字形を作る」ということ。まさにエクリチュールの物質性の話だ。手で紙に書く。すべてが物質的、フィジカル、肉体的だ。そういう話。

iOSからAndroidに乗り換えてもいいくらい最近のAndroidは良くなった

Android 4.4 KitKatのNexus 5を使い始めて2週間ほど。かなり気に入っている。

Nexus 7も引っ張り出してきて、半年ぶりに電源を入れた。ASUS ME370T、2012年モデルだ。最新のAndroid 4.4 KitKatにバージョンアップした。とてもいい感じ。

Bluetoothキーボードでの入力も、iOSよりもいい感じ。

iPhone + iPadから乗り換えるかも。

かつてのAndroidといえば、購入した2台ともクソ端末で、買って一週間でゴミとなったものだが。というか上述のNexus 7もまさにそれだったのだが。

いやはや、Androidも進歩したものだ。

安倍首相が好き勝手な解釈改憲で集団的自衛権を行使したがっているわけですが

こういう「分かってない」首相が出てくることも、ある程度は織り込み済みなんですよね。人類の英知としての近代的憲法のなかには。先人に感謝。

憲法解釈や違憲審査に関する常識

(この節は基本的な「公民」の話。本論は次の節で)

憲法の問題は、立法府(国会)と行政府(内閣)だけでなく、司法府(最高裁判所)が監視するようになっている。憲法の番人。

これについては捕捉が必要。最高裁判所は内閣から完全に独立してるとは言えない。最高裁判所の長官と判事を任命するのは内閣だから。

その一方で、最高裁判所の裁判官に対して、国民が直接不信任票を投じることができる。国政選挙と一緒に行われる国民審査によって。

少しバランスがとられてる。でも、ぼくの印象では、日本の最高裁はもっと仕事しろと言いたいですね。一票の格差問題とか。

日本国憲法第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

集団的自衛権に関わる解釈改憲の深刻な問題

ちなみに、

「最高の責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても、私が責任を持って、そのうえにおいて、私たちは、選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです」

この発言自体は、正しいことを言ってる。テキストをベタに読む限り、何も間違ってない。問題はないように見える。

しかし、この発言の意図が問題なんだ。こう言ってるように聞こえる。

「だから、私は、憲法解釈で集団的自衛権を行使しますよ。その結果は、選挙で問われるんだから、いいじゃないですか。民意を無視して勝手にやってるわけじゃ、ないんですから。民意がノーというなら、私が辞めることになるだけですよ」

そう言ってるように聞こえる。それが問題なんだ。

「民意を無視して勝手にやったあとで、選挙の審判を受ける」ってことなんだから。後の祭りじゃん。民意を無視してるじゃん。集団的自衛権を行使させたくない人から見ればさあ。

ちなみに、ぼく自身の考えはこうだ。集団的自衛権が行使できる国になるべきだ。日本国憲法第9条を改正して、堂々と集団的自衛権を行使すべきだ。「憲法解釈でやればいいじゃん」という姿勢は許せない。

有事の政治的リーダーシップ

以上のような議論はありつつも、改憲には時間がかかる。だって護憲派も強いんだもの。

だから、もし有事になれば、憲法解釈で集団的自衛権を行使することになるだろう。

そうなったら、集団的自衛権の行使を支持する。

実際に有事になれば、国民の利益を守るために、集団的自衛権の行使が必要かもしれない。そのような状況で、集団的自衛権を行使せず、国民の利益が守られないようであれば、そのような首相を許さない。

矛盾してるように誤解されるかもしれないから、論点を明確にしておく。

  1. 平時のうちに改憲し、集団的自衛権の行使を可能にすべき。
  2. しかし、それが間に合わずに有事となれば、国民の利益を守るために必要な集団的自衛権の行使は、仕方ない。

ただし、「仕方ない」といえるのは、あくまでも最大限の改憲努力があってこそ。不作為の結果として「改憲が間に合わなかったので解釈でやりまーす」では許さない。

なぜそういう手続き論にぼくがこだわるのか。それは、立法上の手続きこそ、統治権力の正統性の根拠だからだ。それが立憲主義だ。だからこそ、立憲主義を軽視する安倍首相は、危険だと思う。

緊急警報のアクセシビリティ(試案)

震災、火災、テロ等の事態においては、万人に確実に情報を届ける必要がある。緊急警報や避難情報のアクセシビリティは、まさしくクリティカルな問題だ。

(※私は防災については素人だが、情報アクセシビリティについては日頃から考えている情報アーキテクトなので、以下のアイデアをシェアしたいと思う。すでに防災専門家の間では議論されていることなのかもしれないが、情報アーキテクトならではの新たな論点を提供できるかもしれない。興味があれば気軽に連絡してください。石橋秀仁

緊急警報の視覚的表現

緊急かつ重要な警報は音声情報(アナウンス、警報、警笛など)で提供されがち。しかし、聴こえない人/聴こえにくい人もいる。

警報を出す政府・自治体や公共施設の担当者は、緊急警報を視覚的表現でも速やかに出せるような体制をつくり、避難訓練に取り入れる必要がある。

屋内ならば照明が真っ赤になるといった視覚的表現もありえるだろう。すぐに「何か異常があった」と分かるようにすればよい。聴覚に頼らない手段で。

パーソナルデバイスへの緊急警報

聴こえない/聴こえにくい人や、視えない/視えにくい人など、情報へのアクセスに不便がある人については、その人が持つパーソナルデバイスへ直接警報を届けるのが有効だと考えられる。

いわゆるスマートデバイス向けの緊急速報システムに、ジオフェンスの仕組みを組み合わせることなどが考えられる。政府・自治体だけでなく、商業施設も含む公共空間の施設管理者に、情報発信の権限を与えるとなおよい。

その際には、悪用されないためのセキュリティとして、情報発信者の認証が必要になる。また、誤操作・誤報を防ぐため、緊急時で冷静さを失った担当者が操作することも想定した、フール・プルーフ原則による設計が肝要となる。

ヘッドフォンへの割り込み

ヘッドフォンをしている人には、緊急警報が聴こえない可能性がある。音楽を聴いている健聴者もいれば、難聴の人もいる。

解決策としては、政府・自治体や施設管理者の権限で、対象圏内のデバイスに対して直接割り込んで音声(テキスト+読み上げ音声)を届けることができればよい。

参考事例として、旅客機がある。各座席に設置されているヘッドフォンプラグからは、通常は音声コンテンツが流れているが、機内アナウンスを割り込ませることもできる。

同じ仕組を、スマートフォン等のパーソナルデバイスに対して実装すればよい。(以下繰り返しとなるが)いわゆる緊急速報システムにジオフェンスの仕組みを組み合わせる方法などが考えられる。悪用されないためのセキュリティ(情報発信者の認証)や、誤操作・誤報を防ぐフール・プルーフな設計が必要だ。