山本理顕『個人と国家の〈間〉を設計せよ――第3章「世界」という空間vs.「社会」という空間――』(岩波書店『思想』No.1079)
岩波書店『思想』No.1079に収録されている建築家山本理顕氏の論文『個人と国家の〈間〉を設計せよ――第3章「世界」という空間vs.「社会」という空間――』を読んだ。アレント、マルクス、エンゲルスを読みながら消費社会と20世紀建築を批判する内容。
ウィリアム・モリスの言葉「生きることはバラで飾られねばならない」を引用しつつ消費社会を批判する國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を連想した。
本論文では「社会」化によって人間は「世界」から疎外されたと論じ、20世紀の建築家を批判する。「世界」的空間とは、耐久性のある物それ自体からなる物質的空間のこと。昔から使われてきたテーブルや竈。そこには人と土地の交換不可能な関係性があった。しかし近代化によって「農地を捨て、都会にやってきた労働者たち」が現れた。マルクスが彼らに見出した希望は「鳥のように自由な労働者」像だったが、彼らを向上の近くに集住させる労働者住宅は、むしろ一家族=一住宅を壁で仕切ることにより管理しやすくするためのアーキテクチャだった。といった論考。
「良いもの」対「悪いもの」の二項対立構図を抽出すると、
- 「世界」対「社会」
- 「人と土地の交換不可能な関係性」対「鳥のように自由な労働者」
- 「仕事」対「労働」
- 「耐久性」対「消費性」
- 「集落、ギルド、ワークショップ(工房商店)」対「近代的都市、労働者住宅、施設」
といった具合。
Fumiya Yamamotoさんの「土」主義の方向性に似てるかも。