石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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UIデザインとメンタルモデルの練習問題:Android 4.4 KitKatのバッテリー残量インジケーター

(UIデザインにおけるメンタルモデルを考える上で、ちょうどよい練習問題)

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Android 4.4 KitKatのバッテリー残量インジケーターは、この画面表示で「残り50%」を示しています。そうは見えませんよね?(そう見える人もいるかもしれませんが) 私には、とても50%もあるようには見えません。もっと少なく見えます。なぜでしょうか。ここには「メンタルモデル」と「UI実装モデル」のギャップがあります。

なお、ここでいう「メンタルモデル」は、クリッペンドルフの『意味論的転回』では「ユーザー概念モデル」(UCM: user conceptual model) と呼ばれています。以後そう呼びます。

この練習問題について、自分で考えてみたい人は、一旦ここで読むのをやめて、回答を出してから、続きを読んでください。

ユーザーの概念モデルの観点で、バッテリー残量インジケーターのデザインを考えてみましょう。

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このインジケーターを見て「50%を下回る残量」に見える人は、おそらく「インジケーター中の塗りつぶされた面積の比率」を「バッテリー残量」と結びつけて考えています。

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こういう認知パターンの人が多数派だろうと思います。調査したわけではありませんが、経験則として。

一方、実装を見ると、どうやら「高さの比率」で「バッテリー残量」を表現しようとしているようです。どこの高さかというと、バッテリーのプラス端子の出っ張りを無視して、「肩」から底までの高さです。

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UI実装上は、「全体の高さに対して、塗りつぶした高さの比率」で「バッテリー残量」を表現しているように見えます。

これまで見てきたように、ユーザー概念モデルが「面積比率」であり、UI実装モデルが「高さ比率」だとすると、両者が一致していません。端子の出っ張り分だけギャップがあります。このギャップは、そのまま「残り50%にはどうしても見えない」という認知上のギャップとなって現れます。

デザイン実践への示唆

  1. 静的なアイコンデザインの感覚で「なんとなく絵を描いた」だけだと、動的なインフォグラフィックとして破綻することがあります。計算機上の実装モデル、数学的なモデルにまで、正しく落とし込まなければなりません。

  2. もしデザイナーが面積比の意図で設計していたとしても、その意図がプログラマーに理解されないまま実装されてしまったのかもしれません。そういうことはしばしば起こります。それゆえ、単なるアイコンデザインとは異なる「仕様書」を書く責務が、デザイナーにはあります。

ウェブページ評 『自然の思想、思想の自然。』対談ルポ

イベントレポート:CHOREOGRAPH LIFE - 自然の思想、思想の自然。 -

独立研究者、森田真生。哲学者、國分功一郎新座市にある平林寺で、ふたりの対談が行われた。

それは対談というよりは対話であり、対話であるというよりはひとつの思考の巡りであったように思う。

下西風澄さんの文章。易しく明晰で、かつ美しく詩的な美文です。

対談ルポという形であって、対談の書き起こしではない時点で、編集的にも面白いと思います。まあ、5時間・50ページの対談は、いずれにせよ圧縮的か抜粋的に編集するしかないわけですが、ともあれ。

対談ルポという形で、それを書いたのが下西さんであり、さらには縦書きのレイアウト。このコンテンツは、ぼくを内省的な思考に引き込みました。ウェブでこういう読書体験をしたのは珍しい。文章と編集とデザインが高いレベルで総合されているなと。参考にもなりました。

ただし、残念な点も。ウェブページの実装面。ブラウザからテキストを選択してコピーすると、一文字ずつに改行コードが入ってしまっています。テキストエディタにペーストすると、文章が崩れてしまいます。まあ、実装技術上の話なので、直せばよいと思います。

なお、ぼくはPC (MacBook Air 11-inch) で閲覧しました。タブレットスマートフォンでは読みづらいかもしれません。Pocketを使えばそれらの端末でも読みやすくなりそうですが。

山本理顕『個人と国家の〈間〉を設計せよ――第3章「世界」という空間vs.「社会」という空間――』(岩波書店『思想』No.1079)

岩波書店『思想』No.1079に収録されている建築家山本理顕氏の論文『個人と国家の〈間〉を設計せよ――第3章「世界」という空間vs.「社会」という空間――』を読んだ。アレントマルクスエンゲルスを読みながら消費社会と20世紀建築を批判する内容。

ウィリアム・モリスの言葉「生きることはバラで飾られねばならない」を引用しつつ消費社会を批判する國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を連想した。

本論文では「社会」化によって人間は「世界」から疎外されたと論じ、20世紀の建築家を批判する。「世界」的空間とは、耐久性のある物それ自体からなる物質的空間のこと。昔から使われてきたテーブルや竈。そこには人と土地の交換不可能な関係性があった。しかし近代化によって「農地を捨て、都会にやってきた労働者たち」が現れた。マルクスが彼らに見出した希望は「鳥のように自由な労働者」像だったが、彼らを向上の近くに集住させる労働者住宅は、むしろ一家族=一住宅を壁で仕切ることにより管理しやすくするためのアーキテクチャだった。といった論考。

「良いもの」対「悪いもの」の二項対立構図を抽出すると、

  • 「世界」対「社会」
  • 「人と土地の交換不可能な関係性」対「鳥のように自由な労働者」
  • 「仕事」対「労働」
  • 「耐久性」対「消費性」
  • 「集落、ギルド、ワークショップ(工房商店)」対「近代的都市、労働者住宅、施設」

といった具合。

Fumiya Yamamotoさんの「土」主義の方向性に似てるかも。

フェイスブック、ツイッター、グーグル、アップルの従業員に共通すること

カリフォルニア、ベイ・エリアにある大学を出てる」っていう傾向があるらしいっすよw LinkedInから傾向性をあぶりだすデータジャーナリズム。不完全なデータだって言ってますけど。おもしろい。

What Facebook, Twitter, Google, and Apple employees have in common - Quartz

BCCKSは「電子書籍」と「紙書籍」の区別をラディカルに脱構築する

BCCKS(ブックス)という「電子書籍」プラットフォームは、「電子書籍」と「紙書籍」の区別を、もっともラディカルに脱構築していると思います。

BCCKSは「電子書籍」のサービスと呼ばれがちですが、「単に紙本を個人出版したい」というニーズにも応えています。文学フリマのような個人出版界で。AmazonのKDPとはちょっと違う立ち位置で、「出版」 (publishing) の裾野を広げてる。とても面白いです。

誰でも、いちど紙本を作ってみたらどうでしょうか。自分のブログの文章でもなんでもいい。デジタルテキストが「紙本として出版される」という感覚を味わってみてほしい。お小遣いで誰でもできる価格帯なので。

ぼくは『ゼロベース流アジャイルウェブ開発術 2010年版』を紙本にしてみて、「おぉっ、まじか!?」ってなりました。「フェティシズム」という言葉がありますけども、そんな感じ。デジタルテキストと印刷物の活字には、根本的な違いがある。この感覚は、自分が書いたテキストを活字出版してみることで感じられるのではないかと。

BCCKS

情報公開 (disclosure)

私が創業経営者であるゼロベース株式会社の田中孝太郎は、株式会社BCCKS取締役でシステム開発担当者です。