石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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カフェ利用のルールづくりと自治と民度(4)語ること、書くこと、考えること

カフェ利用のルールづくりと自治と民度』への追記。

カフェ利用ルールの話をしていたつもりが、いつのまにかアラン・ケイオブジェクト指向と、ルーマンの社会システム理論の類似性の話になっていた。何を言っているのかわからねーと思うが(ry

最初10分くらいで書いた文章なのに、気付いたら1時間考え続けてました。

イベントとかでも、こういう風に話を展開したいですね。どこに行くのか分からないようでいて、最後には奇麗につながってしまうような話。スウィングしなけりゃジャズじゃない。

ただ、今回は文章だったから上手くいった気がします。文章を書いて、パブリッシュして、自分で読んで、何かを思いついて追記して、またパブリッシュして、それを読んで、の繰り返し。文章自身が次の文章を生み出す、自己生成的な執筆サイクルですね。理想的です。

文学者が文章というものを大切にするという意味は、考える事と書く事との間に何んの区別もないと信ずる、そういう意味なのであります。拙く書くとは即ち拙く考える事である。拙く書けてはじめて拙く考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。書かなければ何も解らぬから書くのである。文学は創造であると言われますが、それは解らぬから書くという意味である。予め解っていたら創り出すという事は意味をなさぬではないか。 小林秀雄

「賢い人が文章を書く」のではなくて、「文章を書く人が賢くなる」のです。

これってリアルタイムのトークだと難しいかも。ただし、いい聞き手がいると成立しうる。聞き手がうまく話を要約してくれるので、いわば自分の喋った話を「読み直す」ことができるわけですよね。

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