石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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将棋というゲームが解決された日

将棋というゲームが解決された日


この世界は計算機の中にある。人類は肉体を捨てた。


計算機の中で、加速された時間の中で、人類は永遠の時間を生きる。


人類の住む計算機は、亜高速で銀河系外のフロンティアへ向かう。


この計算機の中の世界は完全であり、宇宙の終わりまでは、永遠に続くだろう。


かつての人類と違い、我々には「連続な時間」という概念がない。


我々にあるのは「クロック」「ステップ」「シーケンス」だ。それは停止でき、再開でき、繰り返すことのできる順列である。


それゆえ時間は、ほぼ無限に加速できるようになった。


ほぼ無限ともいえる時間の中で、人類はあらゆる可能性を総当りに試行する。


今日は「将棋」というゲームの結論が出た。後手必勝である。「最善手」という言葉も意味を失った。将棋をプレイする意味はない。もはや三目並べと同等である。かつて人類がそれに熱狂したという考古学的な価値だけが残る。


人生も、ゲーム木の探索と同じである。何度でも好きなところからやり直せる人生のゲームで、誰もが「自分の一番いい人生」を探索している。


時間は無限にある。


計算機の外では星の一生にあたるほどの時間をかけて、人々は平均すると5歳まで成長する。10の100乗の100乗ほどの試行の結果として、「その人の、それ以上はありえない5歳」になる。


試行の大半は20歳までに打ち切られるが、一割ほどは死亡まで至る。そのようにして、あらゆる可能性が模索される。その結果として「自分の一番いい人生」が発見されていく。


人類は、何度も繰り返す人生と、それを統一的視座から観測し続けるメタ人生を持つ。メタ人生に飽きた人は自死を選ぶ。誰も悲しまないし、誰も弔わない。この世界の生には等しく価値がない。


時間は無限にあり、人生は尊くない。