石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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アーキテクトが全体性を指向するのは性(さが)であり、対象が複雑化するなかでは専門性を異にするアーキテクトたちのコラボレーションが重要になってくる

「アーキテクト」って「全体性」を目指してタコツボ的な「専門化」に抗うのが性(さが)だと思います。「責任」ではなく。「責任」は外在的なんですけど、そうじゃない。アーキテクチャが「全体性」を目指すのは、内発的な衝動ではないかと。だから「性」(さが)と呼びたい。

アーキテクトは全体性を指向します。でも、一人で「全体」を担うことはできません。ぼくは情報アーキテクトですけど、建築のアーキテクチャのことはよくわかりません。逆もまた然り。一人で全部できる人なんていません。ですから「専門化」せざるを得ません。アーキテクトは、なんらかの専門分野においてアーキテクトにならざるを得ません。

アーキテクトは全体性を指向するが、しかし一人で全体を担うことはできない、というジレンマ。

では、どうすればいいのでしょうか。僕の考えでは、各分野のアーキテクト達の連携こそ大事です。互いに「全体性」を目指す同志なのだから、コラボレーションできるでしょうと。

つづき:思想対立を超えたコラボレーションを可能にするのは「寛容さ」と「予断を捨てること」