〈物語〉シリーズ・ファイナルシーズンへの期待
『暦物語』と〈物語〉シリーズ・セカンドシーズン(2013年10月14日)
〈物語〉シリーズ・セカンドシーズン、原作既読。映像化のマジックがなかった。想像を超えなかった。
これはアニメが悪いというよりは、ぼくがアニメという表現形態に期待しすぎていたというか、飽きたというか、そういうことなんだろう。佳作であるのだろうけれど、楽しめないという。
そして原作もマンネリで、『暦物語』には失望した。ファイナル・シーズンも読むけど、あまり期待してない。そしてラノベ卒業することになりそう。
『終物語(上)』(2013年10月26日)
『暦物語』に続く『終物語(上)』を発売直後に読んだ。
予想通り、期待通りの内容でよかった。こういう話しかありえなかった。「阿良々木暦はなぜこのような阿良々木暦なのか」という生い立ちや宿命の話。つまり高校二年生以前の話だ。『暦物語』がそれじゃなかったときには訝しんだものだが、ここにきて結末までの期待を持ち直した。
残る課題は「阿良々木暦はなぜ吸血鬼に首を差し出したのか」という「始まりの謎」。結局それが「阿良々木暦はなぜこのような阿良々木暦なのか」という問いの本質。阿良々木暦の人格形成過程を説得的に描けるかどうか。
この物語が書かれた過程を想像すると、最初は『化物語』『傷物語』『猫物語(黒)』くらいの構想から始まっていて、『偽物語』とセカンド・シーズン以降は後付けだと思う。だから「始まりの謎」は初期(『傷物語』を書く前か、もしかしたら『化物語』の『ひたぎクラブ』)から設定されているはず。
最初の『化物語』から読み返したくなるような仕掛けを楽しみにしている。〈物語〉全体の印象が変わってしまうような、『シックス・センス』や『さよなら絶望先生』のような。