石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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ブログの作文について

むかしは「みんな忙しいから、なるべく文字数を減らして、圧縮して書くほうが、読んでもらいやすいはずだ」と思っていた。しかし、それでは「すらすら」と読めない文章になってしまうことに気付いた。

情報の「圧縮率」を上げると、専門用語が増える。同じような文章を繰り返さないから、読者は一文一文をじっくり解釈しなければならなくなる。読書の「負荷」が高くなる。情報の「圧縮率」を上げれば上げるほど、「展開」するための処理時間が必要になるのだ。「圧縮率」の高い文章を書く目的は「忙しい人にも読んでもらう」ことだったのに、本末転倒だ。

したがって、多くの人に届けたい文章を書くときには、「文字数」よりも「流れるように読めること」を心がけて書くようになった。

そういう文章を書くためには、多くの時間が必要だ。何度も何度も推敲しなければならないからだ。こればかりは仕方のないことだ。読者の時間を節約するために、たくさんの「情報処理」を引き受けるということなのだから。ちなみに、情報の「圧縮率」が高すぎて読みにくい文章の最高峰が、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』だと思っている(笑)

今後も作文に精進してきたい。言葉を上手く使えるということは、それだけで素晴らしいことだと思っている。高専では理系の勉強しかしてこなかった。いまは人文知の重要性を痛感している。「やり忘れた宿題」を残したままでは、どこか引け目を感じてしまうものだ。こつこつと、こなしていくしかない。そして少しずつ言葉を上手く使えるようになっていきたいものだ。

追記

  • いまのぼくが理想としている文章をひとことで言えば「長いけれどスラスラ読める」ような文章だなあ。
  • 今日のブログエントリ(なぜ "Designing in the browser" ワークフローへの移行が必要なのか)では手応えがあった。この書き方なら、抽象的・原理的かつ実務的でもあるような複雑な話が、多くの人に読んでもらえるのかと。ちょっと驚いて、文章の可能性を感じた。