日本人の敗戦と精神的外傷
2011年6月24日に、野中郁次郎氏の講演を聴いた。最も印象に残ったのは、この言葉だ:
もうひとつ。小学生4年生のときに終戦を経験しました。私自身は疎開先で空襲に遭ったのです。グラマンのFGFという戦闘機がありまして、これに機銃掃射を受けた。生き延びることはできたのですが、たまたまパイロットが低空飛行してきたときにそのパイロットが笑っているように僕には見えた。「こいつら今に見ていろよ」「必ずリベンジしてやる」という怨念がありまして(会場笑)。今でもあるんですよ。それが米国留学などともどこかでつながっているんですよね。(一橋大学名誉教授 野中郁次郎氏 今の時代に求められるリーダーとは | GLOBIS.JP)
「(会場笑)」とある。たしかに、みな笑ってた。彼らには、日本の敗戦が、自分に関係あるとは思えなかったのだろうか。
野中氏は笑っていなかった。「冗談」の表情ではなかった。そう記憶している。
だから、ぼくには笑えなかった。笑うところではない、と思った。
敗戦経験者の言葉を聞けば、敗戦の記憶が伝わる。
ぼくは敗戦を忘れないつもりだ。
単純に「アメリカを憎む」ことができたら、どれほど楽だろう。もっと複雑で、アンビバレントだ。アメリカへのアンビバレンスは、日本の政治と文学の中心的な問題だ。
「オレは時々、日本人であることがいやになるよ」
そんなことを言うのは洞木だ。
「要するに誰でもいいんだ、保護してくれるんだったらどの国でもいいと思ってる、考えるのは金のことだけだ、価値観の違いなど気にとめない、そもそも価値観などないのかも知れない、そういう意味で言えば守るべきものを何一つ持たない国なのかも知れない、どうしてそんなことになったのだろう、やはり占領、侵略の経験がないからかな、目の前で親兄弟を殺されたことがないんだ、オレはいつも不思議だったよ、大東亜戦争で無条件降伏をしたのが今でも不思議でしようがない、戦争の原因は常に経済だと思うが、戦争を続けるためには価値観の相違が条件だよな、宗教が一番いい例だけど、あいつの考えてることはわからない、あいつは嫌いだ、あいつをやっつけてしまえ、大東亜戦争はまさにそういう価値観の戦いだったわけだ、グラマンと零戦にしたってその価値観が反映されて典型的に違うタイプの戦闘機だからね、そういう価値観に基づく戦争をやっておきながら、つまり宗教戦争と同じなくせに、無条件降服とは何だ? それも、本土決戦もせずに……ナチスドイツはしようがないよ、ベルリンが落ちたんだから、もう戦いようがない、しかし日本は違う、オレは今でもプライドを持てないね(下巻p.18-19)
東浩紀著『動物化するポストモダン』より:
80年代のナルシスティックな日本が、もし敗戦を忘れ、アメリカの影響を忘れようとするのならば、江戸時代のイメージにまで戻るのがもっともたやすい。大塚(英志)や岡田(斗司夫)のオタク論に限らず、江戸時代がじつはポストモダンを先取りしていたというような議論が頻出する背景には、そのような集団心理が存在する。したがってそこで見出された「江戸」もまた、現実の江戸ではなく、アメリカの影響から抜け出そうとして作り出された一種の虚構であることが多い(p.36)
日本社会の根本的な問題は、「アメリカ」と「敗戦」をめぐる精神的な問題だ。これは何世紀も日本人のメンタリティに暗い影を落とすだろう。これに比べれば、他のあらゆる問題は、せいぜい100年以内の時間で解決するような「短期的」な問題に過ぎない。
欧米諸国に比べて、日本には、侵略したり、侵略されたりといった「侵略の経験値」がほとんど無かった(もちろん皆無ではない)。日本人は、敗戦によって、ひどい精神的外傷を負った。
「敗戦」の精神的外傷を乗り越えることが、日本人にとって長期的には最も重要な課題だ。
そのためには、まず「敗戦」を無意識に忘れようとするような振る舞いをやめることだ。もちろん正面から向き合うようなショック療法はむしろ逆効果かもしれないが、忘れた振りをしていても何も解決しないのだ。
こればかりは、時間が解決する類いの問題ではない。世界史を見れば明らかだ。世界には、侵略された怨念を、何世紀にもわたって、末代まで、語り継ぐ民族がいる。日本人は、忘れた振りをしているだけだ。忘れることなど出来やしないのが「侵略」の記憶だ。こればかりは忘却が得意な日本人にだって忘れることはできないだろう。
ならば、まずは「敗戦」の記憶を忘れないこと、もっと正確に言えば、忘れた振りをやめることから始めたい。「敗戦」の記憶に向き合い、それを受け入れたときに、日本人は「敗戦」の精神的外傷を克服できるはずだ。何世紀後になるとしても、それは必要なことだ。
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