石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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都知事選コメント(ふつうなら舛添だが)

舛添

現時点では「舛添都知事」しかありえないと思っています。

ふつうに経歴や思想から考えると、都政を託せる候補がほかに一人もいないので、事実上の一択です。ぼくにとっては。

まあ、投票まで時間あるので選挙戦で各候補の主張を見極めるつもりですが。

猪瀬

ていうか猪瀬さんが辞めてなければよかったのに。

猪瀬前知事を辞任に追い込むべく通常審議をストップさせた都議会。議会の暴走ではなかったか。今後の検察捜査や裁判の経緯を見守りたい。

もし猪瀬氏が不起訴や無罪になったら「猪瀬を辞めさせた責任」を誰が取るのでしょうか。誰も取らない。議会は、猪瀬前知事の追求者は、まったく責任を取らないでしょう。

細川

猪瀬前知事の資金受領疑惑の結論(不起訴なり判決の確定)が出ていない現状で「一億円疑惑」の「細川都知事」など不当でしょう。

もし「細川都知事」が誕生したら、東京都民と東京都議会は、物事の筋や道理がわからない、あるいはまったく記憶力がない、ということになる。

参院選鈴木寛を落として山本太郎を選ぶ残念な民度ですから、それもありえない話ではないのですが。

田母神

田母神都知事」がオリンピック・パラリンピック開催都市の首長として8月15日に靖国参拝中韓がボイコット→ほかの国々も同調…

こんな巨大なダウンサイドリスクのある人は無理。彼がやるであろう「良いこと」「悪いこと」を評価云々する以前の問題です。

宇都宮

宇都宮候補は弁護士としては素晴らしい人なのかもしれないけれど、残念ながら政治手腕が未知数すぎます。

行政面だけでなく、支持母体(共産党など)の言いなりになるのではないか、という意味でも政治手腕が心配。

いきなり都知事は任せられません。

家入

「選挙っぽさ」という遊びの精神。実際に選挙そのものをやっていながら、それを「選挙っぽさ」と呼ぶ精神。これはかつて浅田彰が称揚したスキゾ・キッズの精神です。ポストモダン的。

選挙そのものを「選挙っぽさ」と呼ぶネタ化は、批評的。「批評的」という言葉が分かりにくければ、「注釈的」「ツッコミ的」と理解してもらえればいい。

批評的パフォーマンスは、アートにはなりえても、政治にはなりえない。パフォーマンスといえば小泉ですが、彼は批評的ではなく行為遂行的(実際に目的を達成する手段)なパフォーマンスをしたわけです。家入さんがアートか政治実践か、見極めたい。言い換えると、家入さんのネタ的な振る舞いは、実際に当選につながるのか?

なぜこういう話になるかといえば、ぼくは「批評的実践」なるものは真の力ではないと思っているから。批評的なるものは、あくまでも外野からの影響力(ツッコミ)であって、人々が権力中枢において実践して欲しいと願う(つまり首長選挙で当選する)ものではないと思うから。

だから「選挙/政治っぽさ」が人々にネタとして求められているうちは権力になれない。人々が家入さんのツッコミをベタに求める、つまり既存の政治的なるもの(自明性)の刷新を求めるなら、権力になることができる。

ぼくの考えでは、都民は既存の政治的なるもののスキーム(概念的枠組み)を温存したがっている。その刷新を望んでいない。実際、主要候補と呼ばれる顔ぶれのいずれが都知事になっても、これまでの都政史の延長で予測可能です。この予測可能性が大事。都民は予測可能性を重視すると思います。予測不可能(何するか読めない)な候補は、都知事に選ばれないでしょう。

簡単に言うと、都民はツッコミ役を都知事に選ばない。だから、もし(既存の政治にツッコミを入れている)家入さんが都知事になれるときが来るとしたら、それはもう舞台上の(安全な)「ツッコミ芸」ではなく、舞台そのものへのツッコミを都民が求めるときです。言い換えると、舞台そのものの再定義(あるいは再構築)。「こんな漫才(=政治ゲーム)、意味無いじゃん」というぶち壊し。(それをさきほど「既存の政治的なるもの(自明性)の刷新)」と表現したわけです)

実際、いま家入支持で盛り上がってるネット上の人々を見ると、まさしく「舞台(=政治の自明性)のぶち壊し」を望んでいるように見えるわけです。ただ、それが都民の意志とは言えないでしょう。

もし都民が「舞台(=政治の自明性)のぶち壊し」を求める空気になれば、「家入都知事」のチャンスが出てくると思います。まだその時ではないけれど。

泡沫

泡沫候補に投票するのは気楽です。

当選者に投票した人は、その在任中ずっと「投票責任」を感じうる。だから、(その時点では当選するかどうかわからないが)有力候補に投票する時点でも「投票責任の感覚」が生じうる。

泡沫候補への投票には、それがありません。責任感覚は生じにくい。

※書いてある以上のことは言ってません。例えば「泡沫候補に投票するのは無責任だ」とは言ってない。ちゃんと読めば違いが分かる。論理学でいう必要条件と十分条件の違いです。

たとえ現時点で泡沫候補でも、将来に渡り支援するつもりなら、それはまったく無責任ではありません。もちろん。

後記

書き終えてみると、自分の中では「舛添か家入か」の二択になっている。ただし、後者については(前述の通り)「自分は将来に渡り家入さんを支持することができるか」という自問にイエスと答える必要がある。まだそう思えない。

もし家入さんが「都知事選の結果によらず今後も政治活動を続けます」とコミットしてくれたら(それでも会社経営などとの兼業だとは思いますが)、だいぶ投票意欲は高まるのですが…

例えば、もし(というかおそらく確実に)今回落選したら、2016年の国政選挙に出るつもりはあるのか。家入さんの支持者って選挙区関係ないように見えるし、やろうとしてることも都政関係ないように見えるから、国政向き、とくに参院向きだと思うわけです。

ともあれ都知事選の選挙戦はまだ終わってません。今回は期日前投票せず、投票日前日まで選挙戦を見届けてから投票します。もし家入さんが腹くくって政治家宣言してくれたら(その一要因だけで投票するには値しないけども)、将来に期待して今回投票するかもしれません。

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