石橋秀仁(zerobase)書き散らす

まじめなブログは別にあります→ja.ishibashihideto.net

まとめサイトはパクりサイトなのか? だとしても何が悪いのか?

山本一郎氏の『「まとめサイト」ブームのお陰でNAVER訪問者がTwitterを抜く』を読んだ。

  • 「恣意的な編集」による「デタラメな情報」の問題と、
  • 「単なるコピー」「そのまま転載」の問題

が「アフィリエイト」「小遣い稼ぎ目的」という回路でつながっているという論旨が読み取れる:

しかし、一方で、まとめサイトの情報には恣意的な編集が行われている可能性があったり、他のサイトにある情報の単なるコピーであったりと、数々の問題点も指摘されています。

(...)

NAVERまとめだけの問題ではないですが、誰かの書いた記事をそのまま転載してもアクセスを大量に得られればアフィリエイトで稼げてしまうという現実が、今のネットの問題でもあります。

(...)

大手ポータルサイトがプロの「ネットサーファー」を雇って、記事の中身を精査しながら読者へ情報を紹介していたのはもはや昔話でしかありませんが、手軽な小遣い稼ぎ目的デタラメな情報をまき散らすまとめサイト・記事ばかりが横行してしまう状況も歓迎しかねるものがあります。

(...)

わかりやすくて読みやすいといった、バランスの良い情報の流れが求められる時代ですが、その情報の質をしっかりと担保しながら実現するのはなかなか難しいなぁと痛感する次第です。

最後に「情報の質」という言葉が出てきて、ふと疑問が。

さて、今からかなり変わったことを言うので、いったん「常識」のフィルターを外して、柔らかい頭で考えてみて頂きたい。

もしそれが良い情報なのであれば、「そのまま転載」された「単なるコピー」として流通させるのは、良いことなのではないだろうか?

「そんなのダメに決まってるだろ」と思った人は、頭が固い。なぜダメなのか論理的に説明できなければ、それは単なる「偏見」だ。

人はしばしば「偏見」に「常識」という名をつける。

柔らかい頭は、その「偏見」を見抜く。

実際、ウェブサイトをブラウザで閲覧すること自体がデータのコピーをともなうし、検索エンジンだってデータをコピーして検索可能にしているのだ。

検索エンジンを「パクり」だとして批判するのだろうか。

デジタルデータの「流通」は、ほとんど「コピー」と同義だ。

良い情報があれば、それが広く流通することは社会全体にとって望ましいことだろう。だからコピーは奨励されるべきだ。

良い情報をまとめサイトに「コピペ」で転載する人は、良い情報の流通に貢献しているので、良いことをしていると言えるのではないか。

低質な情報の流通が悪いのであって、良質な情報の流通は良いことだろう。社会全体の利益になるはずだ。

このように考えると、「パクり」の何が問題なのか、分からなくなってくる。

「パクり」を批判する立場に、どういう正当性があるのか、聞いてみたい。

これを真面目な言葉で言えば、リバタリアニズムから著作権制度への問題提起ということになる。

「そんなのは詭弁だ」という言葉では、批判が成立しない。「詭弁」と言うならば、論理上のどこで論理が破綻して「見せかけの論理」(詭弁)」になっているかを、暴かなければならない。

なお、この文章は、ディベートやゲームの類いであって、ぼく自身がこういう思想信条なのかどうかとは無関係だ。しかし、そういうのが通じない人は目くじらを立てて怒るのかもしれない。

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

CODE VERSION 2.0

CODE VERSION 2.0

コモンズ

コモンズ