石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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情報的アフォーダンス

アフォーダンスからシグニファイアへ - A Successful Failure』で解説されているように、ドナルド・ノーマン(Donald Norman)が『誰のためのデザイン?』に著した「アフォーダンス」(affordance)理解には問題があり、批判された。その批判を受けて、ノーマンは「知覚されたアフォーダンス」(perceived affordance)を「シグニファイア」(signifier)と呼び直した。

この経緯をふまえたうえで、あらためて「アフォーダンス」を再考したい。「シグニファイア」ではなく、だ。

アフォーダンスを、物質的なインタラクション(physical interaction)に限定せず、情報的なインタラクションにまで拡大するのは妥当に思われるし、記号的な約束事を含むオン・スクリーン・インタラクション(on-screen interaction)にまで拡大解釈するのも妥当に思われる。さらには、社会的な約束事についても、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)のミーム(meme)の概念を通じて「アフォーダンス」を見出だすことは可能だろう。

ドーキンス的に言うならば、こうなる。ビーバーが川に建造するダムが、ビーバーの遺伝子に由来している。つまり遺伝子の産物である。遺伝子は生物の体を超えて環境にも作用する。さて、ヒトは記号と言語を扱う動物である。それはヒトの遺伝子(gene)と文化的遺伝子(ミーム meme)に由来している。ヒトが記号を使ってコミュニケーションするとき、それを受け取るヒトにとって、その記号は「環境がヒトに与える価値」すなわちアフォーダンスである。

オン・スクリーン・インタラクションの分野で「直感的」という言葉を安易に用いてはならないと警告する議論もある(直感的に使える? アフォーダンス?)のだが、きちんとした理論で用いるならば問題ないだろう。