石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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数値化された「UX改善」による人間疎外

非モテ系エンジニアがデザインとかUI/UXについて勉強してみた - IDEA and Players

この記事を読んだとき、自分は単純に「へー、そういう発想もあるのかー」と感心したくらいなんですが、安藤先生はUXの本来の意味を見失っている、と指摘されたんですよね。 「歩く距離を増やしたら、苦情が減った? だからUXが向上した? じゃあ、お年寄りに長い距離を歩かせるのが良いユーザ体験なの? 馬鹿なの?」 と、まあ本当はもっとご丁寧な口調だったんですが、昨今の言葉だけで中身が空の「UI/UX」には憤懣やるかたないご様子で。 このお叱りの言葉は、かなり胸に突き刺さりましたね。もっとユーザについて想像しろよ、数字なんかじゃなくてさ、と言われたみたいで。

そうなんだよねえ。

「良い体験が何かということを想像できない人間が、他人の良質なユーザ体験を計画できるはずがない」

だよねえ。

さらに、UXDに携わるものには高い倫理観が求められる、とも仰っていたのが印象的でしたね。

だよねえ。

プリンス無双ですな。

悪玉ユーザーエクスペリエンスとアーキテクチャ支配の不可視性』に書いた。

「ユーザーの利益になる体験を作り上げるための技術」である「ユーザーエクスペリエンスデザイン」は、「ユーザーに不利益を与えながら、不利益だと感じさせないための技術」に悪用することができる。デザイナの職業倫理が問われなければならない。

ぼくの考えでは、人間疎外に陥らないためには倫理観だけでは足りない。倫理観は目的に通じる。しかし手段は提供しない。この場合、手段的な知とは人文知だ。より具体的には、人間というものについての思想だ。さらに具体的な臨床知の名を挙げれば、心理学や精神分析だ。個人的には「心理学」と名のつく物が嫌いというか、あまりにも工学的に用いられすぎていて、この文脈でも工学知批判の意味をなさないので、もっぱら精神分析を学んで応用している。

一言で言うと、理系の工学知だけではダメってことだ。