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石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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別の歴史(反実仮想)の想像力で現実を変えようと試みる小松左京・東浩紀的な考え方

東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む」の講義を受けて。

東浩紀は「複数の可能な経験的歴史から、複数の可能な超越論的理念が立ち現れることの一般理論」を作ることが自分のテーマなのだと言う。これは何を意味するか。

東浩紀は小学生の頃から小松左京の大ファンだったという。また、「哲学は社会を変えるエンジニアリング」と考えているのだという。そこから次のように言えるだろう。

小松左京のSF作品のように「ありえた別の日本(の歴史、とくに敗戦と戦後)」を何通りも想像し、その想像力によって実際に「よりよい日本社会像」を構想していく方法がある。その方法を可能にする原理が「複数の可能な経験的歴史から、複数の可能な超越論的理念が立ち現れることの一般理論」だろう。

これは反実仮想(現実とは異なる仮定・想像、つまり「if/もしも」の想像)の話でもある。

例えば惑星の理論(理念)は、「たまたま人類が太陽系に生まれた」という偶然的な経路依存性にもとづく。したがって(太陽系の外にある)系外惑星の発見によって、「惑星の理論」は更新されうる。

例えば生物学上・遺伝子上の性の理念は「男女2つの性」だが、それは「たまたまほとんどのヒト遺伝子は2つの性のいずれかに分類できる」という、人類が偶然経験してきた歴史に由来する。もし異なる歴史を経験していれば、例えば「もしヒトの遺伝子上の性が3つだったら」、もちろん「3つの性」という性の理念が立ち現れたはずだ。「2つ」ではなく。

これらの例のように、「実際に経験した歴史」は一つだが、反実仮想(「もし〜だったら」の想像力)によって「可能な経験的歴史」は複数化する。「こういう歴史もありえたかもしれない」し、「こういう人生もあったかもしれない」のだ。それら複数の経験的歴史のそれぞれから、超越論的理念(一般化や抽象化を通じた概念化)が立ち現れてくる。「こういう歴史では日本人のアイデンティティは違っていただろう」「こういう人生なら自分はこういう奴になっていたのだろう」と。

これを短く(難しく)言うと「複数の可能な経験的歴史から、複数の可能な超越論的理念が立ち現れること」になる。

反実仮想は「『この現実』に対する二次創作」のように機能する。SF的な想像力といってもいい。小松左京は反実仮想を駆使し、複数の「日本の歴史」と「日本人の姿」を書いた。東浩紀の「福島第一原発観光地化計画」もたいへん小松左京的な活動に見えてくる。