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石橋秀仁(zerobase)書き散らす

まじめなブログは別にあります→ja.ishibashihideto.net

無限の情報と有限の記録

ぼくの情報観を書き留めておく。

情報が存在するのに人間は必要ない。情報は人間とは無関係に存在している。生命が生まれる前から宇宙に情報は存在したのだから。

何かの情報がある。それが記録される。記録には媒体と表現形式がある。記録媒体に書き込まれるとき、情報は何らかの表現形式を与えられる。ある一つの情報に対して、様々な表現を与えることが出来る。文字、数字、写真、音声、動画など、様々だ。

情報そのものは表現されなくても情報だから、情報の内容と表現は区別しよう。そして、表現は媒体を必要とする。ヒトの記憶は脳神経を媒体とするし、発話は空気を媒体とする。

情報の内容と表現は別だ。データとプレゼンテーションの区別は明確だ。画像データは映像として表示するだけでなく、画像サイズを数字で表したり、色のヒストグラムで表したりすることもできる。

情報表現もまた新たな情報になる。データを可視化したグラフがあれば、それを埋め込んだ文書を作れる。情報を表現したグラフが、今度は情報として使われる。再帰的階層構造なのだ。

オブジェクト指向的に捉えたい。オブジェクト指向のアイデアは生物学の知識にヒントを得ている。極小の細胞が組織をつくり、器官へ、個体へと階層的に複雑化していく。単純なものの入れ子、階層構造で、いくらでも複雑な構造が作れるのだ。情報は再帰的階層構造で捉えられる。

ところで、こうした情報の媒体と表現と内容は組み合わせられるし、区別して考えたい。しばしば「情報が失われる」などと言われるが、それは記録が失われただけだ。情報は失われない。

物質の次元に有限性はあるが、情報の次元には有限性がない。情報に有限性があるように見えるのは、すべて記憶媒体の物質的有限性に由来する。情報は物質性とは無縁だ。我々が物質性だと思いがちな点は、すべて情報記録に関する。

情報と記録を区別することは、クラウド時代のアーキテクチャを考える出発点になる。情報が物質的にどこに記録されていても構わないからCDN(ユーザーの最寄りのサーバーからデータを届ける仕組み)が成立する。とはいえ、ストレージをWinny(世界中にファイルの断片を暗号化した上でばら撒いておき、そのファイルを欲しがる人がいれば断片を集めて元のファイルを共有するこ仕組み)的な匿名分散ファイル共有型にはできない。

情報セキュリティの本質は物質性から来ているアクセス制御だ。アクセス制御とは、誰に何を見せてよいか、その権限を適切に制御することだ。セキュリティの観点からは、暗号解読以前に、そもそもデータへの物質的なアクセス経路を断てば絶対の安全が確保される。裏を返せば、暗号はいつか解読されるかもしれないのだから、暗号化してあったとしても秘密情報の記録を世界中にバラまくのは危険だ。物質的にネットワークから隔離するのが最も安全だ。

スマートフォンのデータをクラウドで別の端末と同期するアーキテクチャについても、情報と記録の区別は役立つ。記録のどちらが「マスター」で、どちらが「コピー」かといった論点はある。しかし、情報に「マスター」も「コピー」もない。

ユーザーの体験を考えて設計をするときには、記録よりも情報そのものを問題にする。記録の在り処を決めるのは、端末の記録容量や回線速度といった物質的制約でしかない。理想的な体験を構想するときには、「情報はどこか特定の場所に存在するのではない」というユビキタスな情報観が相応しい。

〔ウェブ開発者向け:Reactive.jsのような関数型リアクティブ・プログラミング・パラダイムや、それをウェブ・アプリケーション・フレームワークとして実現したMeteorなどに通じる〕

このように情報の無限性と記録の物質性を区別することで、クラウド時代のアーキテクチャにとって基礎的な議論をしやすくなる。

より基礎的な議論へ向けて、「情報は無限だ」という命題を公理に格上げする。つまり、疑う余地のない真理として、すべての議論の出発点にする。この公理から出発して、様々に考察していく。記録の物質性や、インフォーグの環世界(ユーザーの主観的体験世界)を考察していく。無間の情報から、人間にとって有用な一部の情報だけが利用されているという情報世界観は、ギブスンのアフォーダンス理論に通じる。ぼくは情報というものをこのように捉えて、研究している。

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