石橋秀仁(zerobase)書き散らす

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天王寺区広報デザイナー無償募集の件(批判への批判)

新しい公共」とか財政危機とかの文脈で、よってたかって署名してつぶすべきではない新しい試み。プロボノと思えばいいじゃん。

「デザインそのものの適切な価格が〜」とか言う人はプロボノとかボランティアとかいった公共精神の発露によるプロフェッショナルワークの無料提供を、どういう角度から批判してんのかな?

なお、募集意図の問題ではない。応募者の意図が、という話。

これに応募するデザイナーを「公共的ではない」と批判するのかな?

本件で批判する人は、目の前に応募者がいるとして、どう批判するのかな?

違う角度から言えば、募集広報上、プロボノ色を強く出せば、炎上・署名はなかったのかもね。

キャンペーン | 「天王寺区広報デザイナー」無償の募集について: デザイン料の無償を撤回 | Change.org

この反対署名活動って、OTC薬ネット販売問題とかQBハウス禁止条例問題における「抵抗勢力」のロビイングと同様の政治活動をしてる自覚はあるのかなあ。

外野が「抵抗勢力」と呼ぶ人々も、本人たちは「正義」だと思ってたりする。その難しさ。他山の石として自己批判しなければならないよね。

追記:区長名の釈明文が出た。

大阪市 天王寺区 【報道発表資料】報道発表資料の一部変更について『デザインの力で、行政を変える!!~天王寺区広報デザイナーを募集します~』

続報:大阪市天王寺区「無報酬デザイナー募集」の失敗は、言葉の使い方・伝え方(3月2日)