「本を読んでくれたらお金を払います」というアイデアは実現可能か
ケヴィン・ケリー(Kevin Kelly)の「本を読んでくれたらお金を払います I'll Pay You to Read My Book」というアイデアを読みました。
面白いアイデアですけど、未解決の問題が、アイデアの本質に関わっています。
「購入者が実際に本を読んでいるかどうかを判定する」と簡単に書いてしまっているわけですが、そもそも「本を読む」とはどういうことなのでしょうか。
著者が言うように、
確認済の読者から収集した読書パターンのデータベースを使って、購入者の読書行動を既知の読書パターンと比較し、購入者が実際に本を読んでいるかどうかを判定する。その行動パターンが閾値を超えていれば――たとえば全ページの95パーセントを適正な速度でめくっていれば――
という方式で判定できるのでしょうか。
もし著者が『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んだら、このアイデアを取り下げるのではないか、と思いました。
もちろん、本質的な問いに答えないままシステムを設計・実装することもできるでしょう。そのとき、どういう人々がその開発者の「本を読む」観(読書観)に同意し、あるいは同意しないのか。それが気になります。
簡単に言うと、「俺は『本を読んだ』のに、システムは『読んだ』と認定しなかった。金返せ!」という不満が生じうる、ということです。
一つの解決策は、「本を読んだら」という言葉を単独で使わないことです。「全ページの95パーセントを5秒毎頁以下の速度でめくったら」と、厳密な判定条件を示すのです。
「本を読んだら」という曖昧な言葉を使うことで理解の相違が生じるのですから、厳密な定義を示せば良いのです。
そうすれば「俺は『本を読んだ』のに、システムは『読んだ』と認定しなかった。金返せ!」という不満はなくなるでしょう。
ともあれ、その定義に収まらないような読み方の読者にとって、このシステムは「自分には関係ないもの」になります。少なくとも、私にとっては。
さらには、「大食い10人前完食で無料」に挑戦させるようなギャンブル性があるのも微妙に気持ち悪かったり。
- 作者: ピエール・バイヤール,大浦康介
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/11/27
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